『宏太朗と裕一郎 ひょろっと男子』はなぜ最高番組なのか

大好きなラジオが、『宏太朗と裕一郎 ひょろっと男子』が終わった。

そしてこれを書いているのは、今日までを振り返って「一番好きなコンテンツは?」と聞かれたら「ひょろっと男子」と即答する西山宏太朗さんを応援しているヲタクである。

 

正確に言えば、本放送の幕引き(パーソナリティーの交代)をしたのは3月の下旬だったが、きっと私に限らず他のヲタクの皆さんも、今日こそが『ひょろっと男子』の最終回だったと口を揃えて言うと思う(そう信じたい)。

決して綺麗な終わり方ではなかったし、本来なら4ヶ月前に大円団を迎えていたはずだった(この延期は誰も悪くない、梅原さんが元気でマジでよかった)し、その4ヶ月間運営には懐疑的な目を向けざるを得なかった。見えないところで開催に向けて愚直に頑張ってくださっていることを加味しても、今日という日までの4ヶ月は私にとってあまりにも長かった。

何より、今日西山さんと梅原さんに会うまでの4か月間、二人の絡みが見れる場所が一度もなかった*1。我々ヲタクにとってもはや拷問である。

 

今日を忘れちゃいけない日として記録するためにこうしてパソコンに向かっている私だが、このブログで書きたいのは、どうしてここまで「ひょろっと男子」が魅力的に感じられ、愛される番組になったかということである。もう二人でラジオをいつやるか分からない中で、もう二人の会話が織りなされる最新回が更新されることもなく、YouTubeの過去回切り抜きでしかあの時の気持ちを得られないというのは何とも悔しい。だからこそ、自己満でちゃんと言葉にして遺しておきたい。

 

他のコンテンツや作品を差し置いてなぜひょろっと男子でないとダメなのかを考えた時、
①ラジオという媒体だったこと
② アニメや出演作品の宣伝をほぼ背負わず素の本人たちを出してくれた(そういう演出をしてくれた)こと

③7年という長期間、何も変わることなく続けてくれたこと 
これに尽きるのだと思う。

 

①ラジオという媒体だったこと
西山さんと梅原さんの魅力について、彼らのヲタクに尋ねた時、その答えは千差万別だと思う。非常にそうあってほしい、なぜなら彼らの魅力をどんどん違う角度から引き出してくれるヲタクあってこそ、より彼らは磨き上げられてダイヤモンドみたいに輝くから。もともとスーパー素敵最高ハイスペ大好き声優なのは前提として、やはり好きな人を応援する醍醐味ってそこにあるんじゃないかと思う。ここで書いておいて、自分の例えの陳腐さに辟易している。
私の拙い語彙力はさておき、私がここで言及する「ひょろっと男子におけるラジオの良さ」は決して声がいいとか話が面白いとかタメになるとかではなく(勿論それもあるが)、「声しか届けられない」という言ってみればかなりの制約がかかる媒体で、彼らの言葉に集中出来たことが大きい。人間誰しも、話す(綴る)言葉に一番人間性が現れると個人的に感じている。特に昨今の声優は声の良さだけでなく、ビジュアルなどのクオリティも求められる。西山さんも梅原さんもその点では全く申し分ないが、あえてその部分をそぎ落とす形になるラジオという媒体を通して、二人の「言葉」における良さが最大限引き出せるのは、このラジオ、ひいては『ひょろっと男子』だからこそなのではと感じる。

② アニメや出演作品の宣伝をほぼ背負わず素の本人たちを出してくれた(そういう演出をしてくれた)こと 
もちろん途中、2人がメインを務めた『学園ベビーシッターズ』が放映され、それとリンクした企画もいくつかあったため、こういう風に断定するのもいかがなものかと感じる。しかし、こういう番組が存在してくれないと、伸びやかに話すことは出来ないんじゃないかと思っている。ある意味、あそこまで伸びやかに(下ネタを言ったり、際どい発言を繰り返すなど)できるのもおそらくスタッフさんやスポンサーさんの広い心のおかげもあるだろうし、それすら許容されるのはあの2人の人柄あってこそだと思う。二人とも、いい歳をした子供のような賢い大人だと思うので、念のため括弧づけで「そのような演出をしてくれた」と記載したが、本人たちが童心に帰ったような場面は7年間通して沢山あったので、多分あれは素なんだと思う。
個人的に、梅原さんが手放しであそこまで爆笑するところを、ひょろっと男子以外で見たことがない私としては、この番組はなんて貴重な存在なんだろうと感じた。

③7年という長期間、何も変わることなく続けてくれたこと 
これは伊達に達成できることではないと思う。7年もあれば色んなことが起きた。10分番組から始まったひょろっと男子が30分に拡大したり、梅原さんが遅刻したり、西山さんがインフルエンザに罹ったり、梅原さんが休養期間に入ったり。西山さんが主演を務めるアニメが放映され、二人がどんどん色んなアニメやゲームに起用され、それぞれアーティストデビューもした。少しずつ変化しつつ、声優としての西山宏太朗梅原裕一郎は着実にそのキャリアを前進させている。人間は、変化を厭わないからこそ面白いのだと思うし、私たちはその色鮮やかな変化に毎回魅了されるたびに「もっと見たい」と掻き立てられて、それが応援の原動力になる。

そんな中でも、『ひょろっと男子』のパーソナリティーである西山宏太朗梅原裕一郎は7年間何も変わらず、毎週日曜日の20時半に声を届けてくれた。下ネタを連発し、しょうもないことで爆笑し、でも30分聴き終わったら「さて、今日も(明日も)頑張ろうか」となれる番組を7年間続けてくれたことが、私にとっては大変ありがたかった。1週間、嬉しかったことや悲しかったこと、もやもやしたこと、どんなことが起きても、私にとって1週間の終わりは『ひょろっと男子』で締めくくられ、『ひょろっと男子』で始まる。だからこそ何があっても頑張ってこれたのは、多分私だけじゃないはずだ。

 

本当はこのブログを『ひょろっと男子』未視聴の方向けに書こうと思っていたのに、既にヲタク向けの記事になってしまっているので、開き直って私がこの番組にハマったきっかけの話をする。

ちょうど5年前、大学受験のために浪人しているときに『ひょろっと男子』と出会った。どのように情報にこぎつけてこうなるに至ったのかは覚えていないが、確かニコ動にあがっていた過去回放送を自習中に聴いていたのがきっかけだった。BGM代わりに聴いていたのに、今でも忘れられない、「今週の西山ニュース」の「お泊りの印」*2が頭から離れず、それから毎週欠かさず聴いていた。

今思い出しても「お泊りの印」における西山さんの着眼点は絶妙に気持ち悪いのだが、あの時も今でも、「なんて面白い発想をする人なんだろう」と、文字通り心を射抜かれてしまったのである。あれ以来、西山さんが紡ぐ(綴る)言葉には全幅の信頼を置いている。

今日の卒業式イベントの最後の挨拶で、西山さんが「僕、延期になってちょっと良かったなと思ってるんです。4ヶ月空いたことでひょろっと男子のことを考える時間が増えたから(意訳)」と仰っているのも聞いて、4か月間やきもきしていた自分を反省した。こんなことを思っている間に、私の大好きな推しは、純粋に素敵な発想をしていて、それをまっすぐな目で観客に向かって投げかけている。私が思う西山宏太朗さんの大好きなところは、ずっと変わっていないし、これからも変わることがないんだろうなと感じて、嬉しくて泣きそうになった。

2部の挨拶でも、梅原さんが「思い返しても、楽しいことしか思い出せない(意訳)」と仰ってたのが印象的だった。梅原さんの言葉は終始一貫してシンプルだけれど、その言葉にはいつでも嘘偽りがない。だからこそ、梅原さんの「楽しかった」という言葉はきらきらして聴こえるし、そんな7年間を一緒に過ごせてきたのか、と誇らしくなってしまった。

 

卒業と銘打ったイベントに行くのは少し寂しさを拭えなかったが、幕が上がればいつも通りの楽しくて魔法みたいな時間の『ひょろっと男子』そのものだった。これを夜中の1時半まで書いてやっぱり寂しくなってきているが、西山さんの言う通り「心にひょろっと男子を」宿しながら、思い出しながら生きていきたい。

 

タイトルにある「なぜ最高番組なのか」を問われたら、迷わず「パーソナリティーの二人がとにかく最高で、そんな二人がリラックスして楽しめる場所だから」と一息早口で言いたい。言いながら、色んな放送回をエンドレスに薦めたい。またいつか、こんな素敵な空間を一緒に楽しめるような日が来ますように。

 

7年間、本当にお疲れ様でした!

*1:5月あたりにそま君のオンラインイベントがあったが、ひょろっと男子の番組ではなかったことなどを加味してここではカウントしないこととする

*2:西山さんが江口さんの家に泊まりに行った際、前日は雨が降っていたので長い傘を持っていったが、次の日には晴れていたため、快晴の中電車で傘を持ち歩かなければならなかった西山さん。周りは誰一人傘を持っていないアウェイな状況の中、「これ、(晴れなのに傘を持っているから)僕が昨日誰かの家泊まったってバレるな」と思った、というニュース。